スタッフブログ 2014.12.26 まめ知識!【木曾ひのき】
皆さまこんにちは!
木曾ひのきの家もりぞうです!
いつももりぞうのブログもりもり広場をご覧いただきありがとうございます。
今年最後のブログとなります。
やはり“木曾ひのき”の話題で締めくくりたいと思います!
ヒノキについては、奈良時代の歴史書―日本書紀の中で
宮殿の建築に使うように示すくだりがあることは有名ですね。
当時からヒノキが重用されてきたことがうかがえます。
ヒノキは、南は九州、北は福島まで日本の各地に分布しています。
‘木曽’ヒノキのように産地の名がついた桧を他にも
いくつか聞いたことがある方もいらっしゃると思います。
例えば、四万十桧、吉野桧、尾鷲桧・・・など
その中でも木曽のヒノキは特別な木材として扱われてきました。
まず、木曽のヒノキは青森のヒバ、秋田のスギと並んで日本三大美林と呼ばれています。
そして、木曽のヒノキで樹齢300年以上のものは殆ど見当たりません。
江戸時代に大火の復旧の為や武家屋敷やお城を築く為に、
その大部分が切られてしまったからです。
(※もちろん、自然の力とたゆまぬ現地の人々との関わりの中で、
樹齢300年以上の天然ヒノキが維持・育成・利用されている林もあります。)
そのことに危機感を持った、当時の尾張藩主
徳川義直は、1665年に様々な保護策を打ち出し、檜の切り出しを禁止しました。
『檜一本、首一つ』と呼ばれるほど厳しい規制です。
その後、明治時代から大正へ、皇室財産から
国有林を経て守られ続けてきた木曽のヒノキの森に、昭和に入りまた危機が訪れます。
戦後の復興用材として切り出されたり、伊勢湾台風で
多くの樹が倒れたりといったことが起こりました。
それでも木曽の人々のたゆまぬ努力で、森の整備植樹と間伐が繰り返され、
現在の木曾ひのきの森が形成されているのです。
このように、木曽のヒノキは日本の文化と歴史に深い関わりを持ってきました。
この長く深い歴史を思うと、今、建築用材として、
そして私たちもりぞうが提供する住まいの木材として
取り扱わせていただけることと、また、今年は木曽地方には
大雨、土砂、御嶽山の噴火など様々な出来事がありましたが、
そのような中でも木曾ひのきが守られていることに、
感謝の気持ちを抱かずにはいられません。
これで本年のもりもり広場は幕を閉じたいと思います。
今年一年ありがとうございました。
皆さま良いお年をお迎えください。
なお、もりぞう各モデルハウスは、
新春1月2日よりキャンペーン営業致します。
たくさんの皆さまのご来場を心よりお待ちしております。
木曾ひのきの家 もりぞう